■レーザーレーサーその3
[フェアなスポーツ精神]
現実問題として、このまま水着の選択問題が解決しないまま本番を迎えれば、各国は大きな声で訴えることだと思います。
「汚いぞ!金メダルを取り消せ!」
「連盟は認めただろバカ!」
「うるせー!納得いかねー!」
みたいな争いが、現場やスポーツマスコミに吹き荒れるかもしれません。
仮にこのような争いが起きた場合、そこに持ち出される大義名分は「フェアなスポーツ精神に反する」だと思います。
しかし経済活動と切り離せない現代スポーツには真のフェアというものは、ほぼ存在しないと思います。
サッカー中継を見れば、相手国の選手が倒れこんで時間稼ぎする様を「フェアじゃない」と糾弾しながら、日本の選手が時間を稼ぐときは「クレバー」だと賞賛するように、基本的には言い訳です。
今現在の水着問題でも、このままでは「フェア」という言葉は負けた国からしか聞かれないでしょう。
仮に日本がレーザーレーサーを着用して金メダルをとったら絶対言いませんよ。
「フェアじゃない。返還しろ」なんて絶対言いません。
この先、日本選手団がどのように対応するのか分かりませんが、日本選手がレーザーレーサーを着用した結果、レーザーレーサーを着用していない外国人選手に勝利して金メダルを獲得し、なおかつそれをフェアじゃないとして返還したときに限り全面的に謝罪したいと思います。
まあそれは置いといて、最後に、この水着問題は水泳という競技の限界と行く末を占っているような気がするなあとか言ってみたいと思います。
[競泳の行く末]
今のところ自由形の世界記録は50メートルが21秒28、100メートルが47秒50だそうです。
陸上もそうですが、タイムを縮める競技の限界はどこにあるのでしょうか。
まさか人間が100メートルを10秒で泳げるとは思いません。
人類の限界はすぐそこまで来ているように感じます。
今回の新型水着は、人類の限界を少し先延ばししただけの出来事なのかなあと思うのです。
新型水着で世界記録を縮めたところで、おそらくすぐに頭打ちになることでしょう。
もし仮に、水着技術の粋を尽くして、これ以上のタイム短縮は望めないという地点まで到達した場合、競泳競技はどこに価値を見出していくのか。
室伏のお父さんが、ハンマー投げで新記録は出せないが、投擲は芸術だから芸術には終わりが無いと言いましたが、しかし芸術点を競うのは別競技ですし、やはり相対評価を競うことになるのでしょうか。
つまりタイムという絶対価値ではなく、ある時代を代表する選手を選出すること、時代最強という相対価値にシフトしていくのではないかと思います。その時代の全て(環境から水着からメンタル面から全て)を備えたパーフェクトスイマーこそが競泳の存在価値となっていくとしたら、その条件に水着は欠かせません。
平等性を競うなら、水着の性能を一律にするしかありませんが、メーカーの自由競争ということはもちろんのこと、時代に逆行して性能を抑えたところで、もはや行き着く地点は残されていないと思います。
人が水の中を速く泳ぐ。
単純ゆえに、もはやタイム上の進化は望めないのではないか。
これから競泳という種目はどこに向かうのか。
新型水着は、競泳の在り方に一石を投じた出来事なのかもしれないなあと思いました。
現実問題として、このまま水着の選択問題が解決しないまま本番を迎えれば、各国は大きな声で訴えることだと思います。
「汚いぞ!金メダルを取り消せ!」
「連盟は認めただろバカ!」
「うるせー!納得いかねー!」
みたいな争いが、現場やスポーツマスコミに吹き荒れるかもしれません。
仮にこのような争いが起きた場合、そこに持ち出される大義名分は「フェアなスポーツ精神に反する」だと思います。
しかし経済活動と切り離せない現代スポーツには真のフェアというものは、ほぼ存在しないと思います。
サッカー中継を見れば、相手国の選手が倒れこんで時間稼ぎする様を「フェアじゃない」と糾弾しながら、日本の選手が時間を稼ぐときは「クレバー」だと賞賛するように、基本的には言い訳です。
今現在の水着問題でも、このままでは「フェア」という言葉は負けた国からしか聞かれないでしょう。
仮に日本がレーザーレーサーを着用して金メダルをとったら絶対言いませんよ。
「フェアじゃない。返還しろ」なんて絶対言いません。
この先、日本選手団がどのように対応するのか分かりませんが、日本選手がレーザーレーサーを着用した結果、レーザーレーサーを着用していない外国人選手に勝利して金メダルを獲得し、なおかつそれをフェアじゃないとして返還したときに限り全面的に謝罪したいと思います。
まあそれは置いといて、最後に、この水着問題は水泳という競技の限界と行く末を占っているような気がするなあとか言ってみたいと思います。
[競泳の行く末]
今のところ自由形の世界記録は50メートルが21秒28、100メートルが47秒50だそうです。
陸上もそうですが、タイムを縮める競技の限界はどこにあるのでしょうか。
まさか人間が100メートルを10秒で泳げるとは思いません。
人類の限界はすぐそこまで来ているように感じます。
今回の新型水着は、人類の限界を少し先延ばししただけの出来事なのかなあと思うのです。
新型水着で世界記録を縮めたところで、おそらくすぐに頭打ちになることでしょう。
もし仮に、水着技術の粋を尽くして、これ以上のタイム短縮は望めないという地点まで到達した場合、競泳競技はどこに価値を見出していくのか。
室伏のお父さんが、ハンマー投げで新記録は出せないが、投擲は芸術だから芸術には終わりが無いと言いましたが、しかし芸術点を競うのは別競技ですし、やはり相対評価を競うことになるのでしょうか。
つまりタイムという絶対価値ではなく、ある時代を代表する選手を選出すること、時代最強という相対価値にシフトしていくのではないかと思います。その時代の全て(環境から水着からメンタル面から全て)を備えたパーフェクトスイマーこそが競泳の存在価値となっていくとしたら、その条件に水着は欠かせません。
平等性を競うなら、水着の性能を一律にするしかありませんが、メーカーの自由競争ということはもちろんのこと、時代に逆行して性能を抑えたところで、もはや行き着く地点は残されていないと思います。
人が水の中を速く泳ぐ。
単純ゆえに、もはやタイム上の進化は望めないのではないか。
これから競泳という種目はどこに向かうのか。
新型水着は、競泳の在り方に一石を投じた出来事なのかもしれないなあと思いました。
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