■レーザーレーサーその2

前回のあらすじ
新型水着はどうやら早いらしく、オリンピックまでには不平等を是正するべきという意見があるが、本当にそうなのか疑い始めたのだった。

[完全な平等]
イタリアが「技術的なドーピング」と批判したように、選手の努力や実力とは関係なくタイムが決まること、さらにそれを着る者と着れない者がいること、これが不平等感の原因ではないかと思います。

しかし、完璧な平等など、現代スポーツで望むことは可能なのでしょうか。
本当に同じ条件でやろうとすれば、古代の世界のように、それぞれが己が肉体のみを駆使するしかないと思います。それこそ全裸に近い姿で泳ぐしかありません。

しかし現実にはそれぞれが異なる科学的トレーニングを積み、施設レベルも各国で異なることでしょう。
またスピード社の水着が際立って報道されていますが、そもそも従来の水着レベルでは不平等はなかったのでしょうか。

最近は全身タイツみたいな水着の選手をよく見ますが、あのレベルだって、持たざるものにとっては不平等だと思います。

エキシビジョンみたいなノリで、遅いながらも一人で一生懸命泳ぐ選手の姿をオリンピックで見たような気がしますが、彼に最高のトレーニングと水着と施設と、全てを与えないと不平等ではないのでしょうか。
少し話が違うかもしれませんが、ボブスレーは、F1マシンのようにマシンの性能が大部分を占めるが、日本ボブスレーはお金がないから2年落ちのマシンしかないと嘆いていました。強くないとお金はもらえないが、お金がないと強くなれない。

これは技術的ドーピングではないのでしょうか。
「お前ら汚いぞ!」って言って、日本チームに最新マシンを与えるべきではないのでしょうか。
ボブスレーを操る技術では世界にひけをとらないかもしれないのに。

しかし現実には、そういう技術的、財政的な面も含め、実力とされていると思います。

つまりレーザーレーサー事件で言われる不平等は「全てを持てる」前提で、今まで不平等を受けることがなかったから初めて感じた不平等ではないかと思うのです。

エキシビジョンの選手は仕方ない。日本ボブスレーは仕方ない。環境、待遇、生まれが悪かった。
これが自分たちの話になると、大きな声で不平等を訴えているように思えます。

僕はエキシビジョンの選手や日本ボブスレーを救えと言うつもりはありません。
共産主義じゃないし、それは競争の結果です。ハンドボール人口が少ないのも競争に負けた結果。
だからこそ努力するし、だからこそ面白い。

そもそも完全な平等というのは無理があるのではないかと、どちらかといえばそういう方向です。

また、現代スポーツは、それが経済活動とリンクします。お金がないと選手は生きていけません。
その中で、メーカーと契約すること、メーカーが開発すること。メーカーのロゴをつけて大会に出ること。
それも全部含めてスポーツだと思います。

技術、財政も含めて実力ならば、経済とリンクする選手生命のなかで、自分が選んだメーカーが(おそらく許容範囲を超えた)技術革新を成し遂げた。それも実力に含めてあげないと、充分な訓練を受けずに埋もれた名も無きアスリートは納得できないと思います。

まあ、北島選手の言動からは、周囲が騒ぎすぎているのかもしれないという危惧も感じます。

早くなりたいと願う選手と同じかそれ以上に、五輪の成績を国の手柄として喜びたい我々一般人のエゴが現れた結果、不平等をここぞとばかりに大きな声で訴えているのかもしれません。

その3、「フェアな精神について考えるでござるの巻」に続きます。

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